安心安全で快適な自習室「ミニッツ」| 神奈川県横浜市

会員登録制・安心安全で快適な席をご用意

山本五十六??

こんにちは(*^^*)
令和になって「石油タンカー砲撃」「震度6強の地震」「2000万円不足の年金問題」などこの2ヶ月で色々な事が起こっています。
昨日は、店頭でご説明している時に親御さんが来られ「あんた勉強なんてするの?」と(笑)
毎日働いて、子供の為に1ケ月利用のお金を払っているのに、来てもスマホゲームばかりやって勉強をしない学生さんのご利用をお断わりするほどの「変な自習室」なので利用されなくて良いのですが、せめてお子さんのヤル気だけでも尊重して上げてほしいと思いました。
なんて事があったので、令和は大丈夫なのか心配になってしまいましたよ。
さて、こんな事があったので、たまには教育論の話も良いかと思います。
勉強は
学校で教わる。
塾で教わる。
差別なく、みんな平等に教わる。
でも、学力に差が出る。
何故だろう。
ここで疑問を持って考えてみる。
出来が悪いから仕方ない。
嫌いだから仕方ない。
先生が嫌いだから仕方ない。
いろんな理由が思い浮かびます。
会社でも、みんな同じ様に教えてもらいスタートする。
研修で教わる。
先輩に教わる。
上司に教わる。
でも、結果や作業効率、成績に差が出る。
何故だろう。
ここで疑問を持って考えてみる。
教え方が悪いから仕方ない。
聞いてない事があるから仕方ない。
やりたい事ではないから仕方ない。
いろんな理由が思い浮かびます。
この理由を改めて考えてみる。
そうすると、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせ、ほめてやらねば人は育たぬ。」を思い出します。
しかし、この名言も前半を忘れられ、いつの間にか「ほめてやらねば人は育たぬ。」が独り歩きをしているようです。
俗にいう「ほめて育てる教育論」でしょう。
勘違いしている方に多い「間違いや悪い事は目を瞑って、いいところだけを見てほめましょう。」的なイメージです。
その事を前提に、勉強や仕事の「仕方ない理由」を考えてみると「仕方ない理由」はほめる為に目を瞑っている内容に思えませんか?
自分はほめられることしかしていない、間違っているのは周りの責任だと言わんばかりの「仕方ない理由」です。
この「ほめる教育論」を継続すると、自分の行動などによる善悪に関係なく「根拠のない出来る自信」が一緒になって独り歩きします。
なにしろ何をしても自分は悪くないのですから、ほめられ続け「悪いのは周囲の問題」となってしまうでしょう。
逆に、それとは違う感覚の昭和の上司達は「仕事は教わるものではなく、見て盗んで覚えるものだ!」と考えている方がほとんだと思います。
中には「仕事もろくにしない給料ドロボー!」とか「覚える気があるのか!」「学生気分でいつまでもいるな!」なんて言ってしまう感覚です。
これはかなりヤバいですが「パワハラ」の元となるのが「仕事は教わるものではなく、見て盗んで覚えるもの」の考えなのです。
昭和は「出来ない自分が悪い」「こんな結果なら言われて当然」みたいな感じでした。
今では「24時間戦えますか?」ではなく「私、定時で帰ります。」の仕事に対する感覚に変わっているのです。
そして、新社会人に教えるにしても、現在では「丁寧に優しく、解り易く教えて上げる。」に変換していなければならないのです。
この感覚にスイッチ出来ないと「パワハラ」「モラハラ」などで訴えられますよ。
何故なら、人権保護など権利の主張に関しては教えてもらっているのです。
昭和の上司達からすれば、義務と権利のアンバランスのような感じなので、話していると「ふざけるな!」と思ってしまうでしょう。
そして更に、昭和の上司達から言えば「最近の若い奴は・・・云々」になるでしょう。
しかし、山本五十六の教育論は「軍事国家」の背景から出ているので、その当時の若い奴らの感覚も違っていたはずです。
そして、山本五十六の教育論を元に育った人達は、昭和の上司を見て「最近の若い奴ら・・・云々」と言っていたに違いありません。
そうなのです。
いつの時代でも「最近の若い奴ら・・・云々」は言われ続けることなのです。
もちろん、今言われている若い奴らも、令和生まれの社会人が現れたら「最近の若い奴ら・・・云々」と言うでしょう。
そこで、現代に合わせた山本五十六の教育論を考えてみました。
「やってみせ、言って聞かせて、やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせ、己で間違いを正させ、やらせてみせ、ほめてやらねば人は育たぬ。」
となるでしょう。
「ほめる教育論」で完成した人は「自分は出来る人間で、理解出来ないのは能力がない人だ。」とまでなってしまう可能性があります。
だから「自分は間違っていない感覚に育った人」に対して、感情的に「怒る」のは理解出来ない事でもあるのです。
誰が見ても間違っているとしても「ほめられた事しかないのに、脅すだけで何が言いたいのか分からない。」となる事も有り得ます。
最近は、コミュニケーションが苦手な人も多いので「怒る」は脅されているイメージになるのでいけません。
どうしても「怒る」感覚が身ついている方は、気持ちを抑えた「叱る」を使おうとしますが、それよりも「諭す」感覚になる事が大切です。
しかし、現在は「怒る」という感情的な指導が「パワハラ」と言われているので、これから先は「叱る」が「パワハラ」となる可能性もあります。
そして「叱る」が「パワハラ」となり、最終的には「諭す」も「パワハラ」となってしまうかも知れませんね。
どうしたら良いか分からない時代の到来も、間近に迫っている可能性もあります。
この状況が続けば、企業では「人」がいない「AI」だけのところも出来そうな感じですね。
人に教えて訴えられるより、機会にインプットした方がより安全ですからね。
そんなSF的な発想は置いておいて、教師や講師だけではなく、親にしても「怒る」事から「叱る」そして「諭す」と変化をする必要があります。
同時に「勉めて強いて自ら習う」という自習勉強を身に付けさせる必要があると思います。
教えてもらい差が出るのは、教えてもらうだけの勉強しかしていないか、復習という自習勉強をしているかに関係していると思うのです。
もちろん、自習勉強は復習だけではなく予習といった事もあります。
いくら教える側が努力をしたとしても、教わる側の姿勢が結果につながるのは、同じ様に教えてもらって差が出ることで明らかなのです。
そして、高額な家庭教師を雇っても、本人が「教えてもらって学力が上がらないのは先生の責任」と考えるのであれば、それを言う前に自習勉強をしているかを考える必要があります。
自分の考え方を、改めて考える事も自習勉強と考えて良いでしょう。
例えば、学校で教えてもらい自宅で復習する子供と、復習さえしない子供であれば差が出ます。
冒頭の「仕方ない理由」は、自分はどうなのかを考えていない「自分は正しい」と納得する為の言い訳にしかなりません。
勉強でも仕事でも、広い意味での自習が出来ている人と、出来ていない人に差が出ているだけの事なのです。
教える側は時代の流れに準じた感覚を持つ必要があり、教わる側は「勉めて強いて自ら習う」を実践することで「平等に教えてもらい、平等に身に付く」となるのではないでしょうか。
時代が云々と言っても、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみせ、ほめてやらねば人は育たぬ。」は名言だと思います。



 
2019年06月21日 09:49
安心安全で快適な自習室「ミニッツ」

【受付場所】
神奈川県横浜市戸塚区
戸塚町120
旭ビル2F
自習室ミニッツ2号店

ご利用案内

モバイルサイト

安心安全で快適な自習室「ミニッツ」スマホサイトQRコード

安心安全で快適な自習室「ミニッツ」モバイルサイトへはこちらのQRコードからどうぞ!